素人の屁理屈

専門的な知見からのご指摘お待ちしております

Cultural Appropriationとは何か

‪件の騒動でCultural Appropriation(以下CA)という概念を知り、色々考えました。

しかし調べていく中で、そもそもCAとは何で、何が問題なのかということについて、的確に要点を掴んでまとめて説明している日本語のページが無いように感じられたので、まずはそこから書いていきたいと思います。

素人による文章になりますので、詳しい方から見て間違っている点等ございましたらご指摘頂ければ幸いです。

(いくつかある日本語ページの中で、辛うじて核心に迫っていると感じられたのがこちらの記事になります)

【連載企画第一弾】Cultural appropriation(文化の盗用)って何?人気フェス・コーチェラから見えてくる意外な一面|海外セレブ&モデルの情報満載[セレシー]

【連載第二弾】バッシングを受けることもしばしば。ハリウッドセレブのCultural Appropriation(文化の盗用)?!|海外セレブ&モデルの情報満載[セレシー]

【連載企画第三弾】Cultural appropriation(文化の盗用)からappreciation(感謝)に。グローバル社会の今、私たち個人が始められること。|海外セレブ&モデルの情報満載[セレシー]

 

Cultural Appropriationとは

 CAとはどういったことを指す概念なのか。

この問いに、なるべく一般的な現代日本人にとっても分かりやすいような表現で答えておきますと、

‪「長きに亘り一方的に支配者であった側が、被支配者の文化に対して、それまでは評価しなかったどころかそれを理由に迫害することすらあったにも関わらず、支配者側が利益(経済的なものに限らず名誉や娯楽といった無形のものも含む)を得るために利用出来ると判断した途端に手を付け始め、その過程で支配者側にとって都合の良いステレオタイプに落とし込み、対象の本質や本来の所有者・当事者である被支配者を無視して一方的に使用すること」

となります。

された側から見ると、

「自分が長く大切にしてきて、時には多大な努力も惜しまず真剣に向き合ってきた、自らのアイデンティティの一部ですらある対象が、今まで散々自分を苦しめてきた敵の手によって今度はそれを掠め取られて好き勝手に歪められ見るも無惨な姿にされてしまった上に、その敵によってばらまかれたステレオタイプに苦しめられる」

という状態です。

CAが問題視される理由が伝わったでしょうか。

 「人種差別」という言葉で問題提起されることが多いので分かりにくくなってしまっているのですが、問題の本質はここにあります。

 

「‪Cultural Appropriation‬」とネットで検索した時にその一例として多く挙げられているのが、白人ミュージシャンが有色人種である他民族の伝統衣装を性的さを煽る形に魔改造し、コスチュームとしてPV中に使用する事例です。
自分達の神聖なものを、性欲を煽る道具として勝手に下品な形にされて使われたらどう感じるかは、流石に想像がつくのではないでしょうか。況してやそれをしているのが、長いこと自分達を散々苦しめてきた当人だとしたら?

 

被支配者が自力で生み出し長年大切に紡ぎ育んできた文化から支配者が利益を得る際に、その文化と当事者たる被支配者への敬意や尊重する姿勢が欠けていることこそが、CAが問題視される所以である。

というのが私の理解です。

 

海外では、白人タレントが異国ファッションとしてニカブ姿をインスタに投稿したことがCAに当たるとして批判を浴び、同じく白人のUNHCR特使が活動中ヒジャブを着用したことはCAであるとは言われず、むしろ現地文化を尊重する姿勢だとして高く評価されたとのことです。
「アメリカ人の白人がムスリムの民族衣装を着用した」という行為自体は全く同じですが、文化と当事者に対する尊重の姿勢や敬意の有無によって、CAに該当するか否かが分かれています。

 

「他民族の伝統衣装は絶対に着るな」などという話ではありません。

・人様の物を借りる時は「借りてもいいですか?」と一言訊く

・許可を得られなかったら勝手に使わない

・借り物は自分の物よりも丁重に扱う

という、誰もが小学校くらいまでには習うような常識の話です。

その上に「借りる側=加害者」「借りられる側=被害者」という背景(人種差別等)を考慮すべき、という要素が加わります。

 

「ヴォーグ」に対する 日本人の反応

冒頭で述べた「件の騒動」というのがこちらになります。

カーリー・クロスが炎上謝罪 日本文化を盗用と指摘、米VOGUE誌で「芸者スタイル」披露

 こちらはそれに対する反応をまとめたtogetterです。

なぜこれが差別なの? Cultural Appropriationとは? 日本人女性の格好で撮影したモデルが謝罪 - Togetterまとめ

【「マジョリティ民族は許可なくマイノリティ民族の民族衣装を着てはならない」が、現在主流の考えになりつつある】との現状解説に、様々な反応〜丹菊逸治氏の解説を中心に - Togetterまとめ

 

海外で批判されているように、これは本来完全にCAに当たります。

長らく白人>日本人の構図が存在し続けていますし、日本人による企画ではなく、使用された衣装もアレンジの結果元々の「和装」とは大分異なったものとなっています。

にも関わらず日本人から「何が悪いのか分からない」「これを差別だと言う方が差別では」という意見が多数出たのは、

・日本在住の日本人は歴史的にも生活圏内においても支配者側であること

・白人崇拝が根強いこと

・和装への帰属意識が薄いこと

が主な理由であると考えられます。


まず1つ目に関して。

日本で暮らす現代日本人の大多数は、東アジア地域単位での歴史上も生活圏内においても、民族・文化的に完全な多数派であり支配者側です。つまり白人社会における白人と同じ立場なのです。

それゆえ少数派・被支配者として長らく圧力を受けたと感じる経験がほぼ無く、またその自覚も無いので被支配側の感情(=CAという概念)にピンと来ない。現在日本国内においては少数派となる白人から直接圧力を受ける機会もそう無いですし。
ただ、移住して白人社会に暮らす日本人は他の有色人種と同じく生活圏内において少数派であり被支配者ですし、世界的な規模で歴史を見れば白人>日本人という構図からは未だに抜け出せていませんので、多数派であり支配者である白人側が先んじて配慮をするのは全く悪いことではないはずですし、むしろ見習うべき姿勢です。

それを「いきすぎた自粛」「逆差別」と言えるのは、日本国内の日本人には多数派・支配者としての余裕があるからこそなんですよ。なかなか傲慢で無神経な姿勢なので、自分達が恵まれた立場に置かれていることを少し自覚した方がいいのではないかと思います。自分にとっては平気なことでも、事情の異なる他者にとっては苦痛に感じられる場合というのはいくらでもあります。

 

逆に日本人が加害者となる例を挙げますと、今いる日本人がなんちゃってアイヌ的な格好をすることなどは完全にCAに当たります。今いる日本人は殆どが和人ですが、アイヌは和人に迫害され文化の消滅に追い込まれたという歴史的背景を持ちます。ほぼ絶滅に近い状態となったこと等を理由に、当事者が大きく声を上げることが出来なくなってしまったので問題視されることが少ないだけなのではないかと思います。また琉球民族にも近いことが言えそうです。
中国朝鮮の民族衣装を日本人がなんちゃって形式で着るのも同じです。現存する国民の感情が現在から過去へと地続きになっている範囲の歴史的背景において日本人は中国人・朝鮮人に対して一方的に支配者であり、生活圏内においても在日中国・朝鮮人に対して日本人は圧倒的多数派です。


2つ目に関しては、少なくとも

「日本文化に親しもうとしてくれている感じしかしない」

「韓国・中国人俳優が片言で日本人を演じることの方が違和感がある」

「“寿司ポリス”なんか必要無い。それより『和食』の看板を提げて低品質な食事を出す中国人や韓国人を何とかしてくれ」

という意見があるのを見るに、敢えて痛々しい言い方をしますが

「白人様が日本に親しもうとして下さった!」

「朝鮮支那人如きが日本人様に近付こうなんて片腹痛い!」

という感覚が無意識下にある人が多いのでしょう。

「白人のなんちゃって和装」も「韓国・中国人による日本人役や和食店」も、どちらも

・非日本人による不完全な日本文化の模倣

差別意識からの行為ではない

・利益を得るための行為

という3点は全く共通しているにも関わらず、前者は良くて後者はダメな理由が上記以外にあれば教えて下さい。

 

3つ目は言われればすぐ納得がいく理由だと思います。

ニンジャやサムライに関しても同じです。一般的な現代日本人にとっては既に縁遠いものとなっており、アイデンティティの一部としている人は少数でしょう。だから、自民族の伝統にアイデンティティを有しておりCAを嫌がる人の感覚を理解出来ず、狭量、我儘、口煩いといった悪印象を抱きます。

 

またtogetterの中で、「和食以外は全部ダメっていうのか!?」と執拗に列挙してる人や「チャイナドレスもサリーもアオザイもダメなの?」「日本人も洋服を着れなくなるのでは?」といった疑問を挙げてる方もいますが、これに答えるにはまず以下の分別が必要になります。

①対象となる食文化や民族衣装の本来の当事者と、新たな形使用者は別者であるか

②その当事者と、新たな使用者との間に、長期間の一方的な「当事者=被支配者、使用者=支配者」の構図が存在しているか

③当事者側にも①②は意識されているか

これを元に、先程挙げられた対象を分けていくと、

【1】中華料理やチャイナドレス → ①②③

【2】アオザイやサリー → ①のみ

【3】洋服・洋食類やそれが元になったもの全般 → ①のみ、②に関してはむしろ当事者=白人=支配者、使用者=日本人=被支配者という構図

つまり、結論としては

【1】CAに当たり問題視されて然るべき

【2】完全にCAには当たらないとは言い切れないが、日本人が使用者となる場合は今のところ問題視されていない様子

【3】二者間の力関係が完全に逆であるためCAの定義から外れる

となります。

 

完全にCAに当たるとは言い切れない、被支配者が支配者の文化を自己流にアレンジする等して用いること【3】や、一方的な支配-被支配の関係には無い間柄の者がそれを行う場合【2】は当事者があまり嫌がらないことが多く、問題視される機会は少ないです。

しかし、基本的に民族の伝統というのは神聖性やアイデンティティといった当事者にとって重要な意味を持つものであることを大前提とし、借用の際は最大限当事者を尊重する姿勢を忘れてはならないでしょう。

「中国人や朝鮮人に日本人のふりをされるのが嫌だ」と言うのなら、自分達も当事者から嫌だと言われたらすぐ辞めましょう、それ以前に嫌だと言われるようなことは慎みましょう、そして嫌だと感じる他者の心情を尊重しましょう、ということです。

それに、嫌だと感じていても何らかの理由で当事者が声を上げられないという場合も考えられます。

 

では、「CAがダメだというなら中華料理屋やラーメン屋は全部潰れてしまうじゃないか」とのことですが、それはまたちょっと違います。

倫理観というのはより良い方向に進もうとして変化していくものでして、それまでは何の問題意識も無く普通に行われてきたことでも、問題視されて意識改革が起こればそこから段々「それは良くないこと」というのが新たに一般的な倫理観となっていきます。

中華料理やラーメンが日本に取り入れられた当時はまだCAという概念が確立しておらず、問題視されることはありませんでした。

そして今日に至るまでの間にすっかり日本の中で日本人向けにアレンジされて定着し、現在の中国人が帰属意識を持つ食文化とは全くの別物となっています。

それをわざわざ「CAだから今からでも全部潰せ!」と言っているわけではありません。

ただ「それらも本来望ましくないことをしたのだ」という自覚はしておいて、これからは同じことをしないようにするだけです。

日本国内でトキを絶滅させてしまったのは恥ずべきことですが、わざわざ中国に生息するトキを捕まえてきて無理に復活させようとするのではなく、今現在絶滅の危機に晒されている種の保護に努めよう、というのと同じことです。

 

それから「使用者が増えた方が文化は発展するのだから、使用は制限されるべきでない」「差別意識をもってやったことではないなら良いのでは」という意見について。

これは、「お互い様ですよ」「子供のしたことですから」「悪気は無かったんだから」というのと完全に同じです。

言っていいのは被害者だけで、決して加害者が言って許される言葉ではない、ということです。

悪気が無ければ何をしてもいいというわけではないですよね。それに、当事者が必ずしも“文化の発展”を望んでいるとも、当事者の考える“文化の発展”に非当事者の考える“文化の発展”が必ずしも合致しているとも限りませんし、「自分達の利益のため」という本音を隠す建前として「文化を発展させてやる」と恩着せがましく言うのは、明らかにおかしいでしょう。

 

CAに当たらない例

では、白人(支配者)が日本人(被支配者)の民族衣装を着用することになるボストン美術館の「キモノ・ウェンズデー」や、京都の観光者向け和装体験に非日本人が参加するのはどうなのかというと、これらは着物・和装の当事者たる日本人が自分達の意思で自分達のために自分達の手で行っていることなので、CAには当たりません。当事者によってお土産用等として販売される民芸品もそうです(非当事者が販売すればそれは“海賊版”ということになりCAに当たります)。

ボストン美術館のイベントで抗議をしたのは非日系のアジア系アメリカ人だったとのことですが、彼らに対して我々日本在住の日本人がとるべき態度は「今回のこれは自分達も納得して協力していることですので、問題ありません。でも、あなたたちにも同じようにしろとは言いません」というものだったと思います。

日本がこれを許容したとして、それを他の民族に強制してはいけません。たとえ同じアジア系民族であっても事情や心情はそれぞれに異なり、非当事者が推し量れることが全てではありません。

キモノ・ウェンズデーに関しては「ただ来館者が着ることが出来るというだけで着物や日本文化に関する解説は無かった」等の、美術館側のやり方がまずかったことを伺わせる話もあります。相手が日本であったから無事だったものの、もう少し当該文化を真面目に取り扱っているという姿勢をしっかり見せるべきだったのではないかと思います。また、抗議した側も事前に企画の背景を良く調べておくべきだったでしょう。

 

最後に、これはそうあることではありませんが、有り得る話として書いておきます。

他の民族の文化やそこに所属する人々を心から敬愛していて、どうしてもその一員になりたい場合は?という話です。

まず一番に、出自が異なってしまった以上は「自分はこの人達と全く同じには絶対に成り得ないのだ」という謙虚な姿勢を維持し続けることです。どれだけ熱心に歴史や文化について学び、どれだけ思いを寄せていても「自分はもうこの人達と同じになったんだ」と自ら思ってしまった時点で、それは奢りです。

明らかに自分と同じ全く苦労はしてきていない相手に「俺はお前のことが昔から好きで良く知ってる、だから俺はお前と同じだ!」と言われたら嫌な気分になる人だっていますよね。そういうことです。

 また、自分の本来の所属コミュニティから出て、その人達の中で暮らすということを実践すべきです。そこに骨を埋める覚悟も無いのであれば、安易に口先だけで「自分はこの人達の仲間だ!」などと言うべきではない、というのは簡単な話です。

当事者の尊重を大前提として、これらを踏まえて努力を惜しまなければ、出自の違いを超えた交流も可能になるかもしれません。相手方から認めてもらうことが出来れば、それは決してCAには当たらないでしょう。

 まずは、自分の現在の立場からその人達のために何が出来るのかを考えてみて下さい。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

次はCAについて、もっと日本人の一般的なオタクにも身近な話題に落とし込んだ話をしたいと思います。